空の中の部屋 呂布パート1 はじめから董卓暗殺まで 空の中の部屋
空の中の部屋  空部屋マガジン配信中!申し込み募集中! もうすぐ三周年!!
07≪ 2017| 1234567891011121314151617181920212223242526272829303108/ ≫09
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
--'--'--(--)--:-- [ スポンサー広告 ] . . TOP ▲
呂布パート1 はじめから董卓暗殺まで
さてさて、久しぶりのまともな記事じゃないですか?
このコーナでは歴史に登場する人物を紹介します。

まぁ今回は管理人の好きなジャンルにさせてくださいww
ってことで三国志より!!

三国志演義のなかで最強と言われた呂布!

正史での彼の人生をしりましょう



呂布の人生は短いので今回は

「手間かけ記事」にします!!

人物紹介は長いので続きを見るにしましょう^^

↓をクリック

では

スタート


はじめ
河内に并州刺使として駐屯していた丁原に仕え重要される

189年、霊帝死後の混乱の中で丁原とともに首都洛陽に入るが中央の権力獲得を図る董卓とやがて衝突した

董卓は丁原殺害を目論むと、その下にいる呂布に謀反をもちかけた。



誘いをかけられた呂布は丁原を斬り、そのまま董卓に仕えて信愛を得た。

董卓は呂布を非常に重用し、養子とした。さらに董卓によって騎都尉に任ぜられ、まもなく中郎将に累進し、さらに都亭侯に封じられた。 絶大な権力を握った董卓は傍若無人な振る舞いで多くの人の恨みを買ったが、傍らに呂布が侍していたために誰も表立って逆らう者はいなかった。



呂布は腕力が常人よりもはるかに強く、弓術・馬術にも秀でていたため、前漢時代に活躍した李広になぞらえて飛将と呼ばれていた。『三国志』の注に引かれている『曹瞞伝』(これ自体は散逸)によると、彼の乗馬「赤兎」とともに「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」と賞されたという。その一方で知謀には欠け、敵対する者からでも利益で誘われるとすぐに行動をおこしてしまうという、節操がなく物欲の強い性格であったようである



董卓暗殺

ある時董卓は一時の怒りから呂布に手戟(小さな剣)を投げつけたが、体術に優れていた呂布は見事にかわして事なきを得た。

しかしそれ以来、呂布は董卓に不満を持つようになった。さらに呂布は董卓の侍女(『三国志演義』では司徒 王允の養女貂蝉)と密通しており、それが露顕することを恐れていた。

この両者の隙に乗じ、暴虐の限りを尽くす董卓の抹殺を目論む王允は呂布に董卓暗殺を唆す。

192年、ついに呂布は董卓を殺害し、その恐怖政治を終わらせた。

しかし董卓の軍事力の基礎であった郭、李傕ら涼州の軍勢が首都長安(董卓によって洛陽から遷都)に侵入、呂布はしばらく応戦したものの支えきれず、数百騎のみを率いて武関から逃亡した。



・・・

以上はじめから董卓暗殺まででした!


まぁ文じたいはもういっこのブログからこぴりました・・・

まぁもうウィキペディアより引用なんですけどw
まぁそこはお願いします^^


スポンサーサイト

2009'09'16(Wed)18:56 [ 歴史人物紹介 ] CM0. TB0 . TOP ▲
COMMENT
コメントする














秘密にする?

    
この記事のトラックバックURL
http://baisusiteli.blog121.fc2.com/tb.php/323-79125cd0
trackback



     
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。